若石健康法の歴史

古代から人は足と健康は関わりがあることを知っていた

時はさかのぼり、紀元前2300年頃から始まります。
エジプトの外科医として知られるアンクマホールのお墓の壁には、
手や足をもんでいる様子が刻まれていました。健康維持や医療の分野において、
手や足をもむということが注目されていたことがわかります。
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また、原始仏教の時代のインドでは、現在のように仏像が作られることがなく、
仏陀の足の絵を石に刻んだ『仏足石』を拝していました。足の裏には、仏教の教えを象徴する幾何学模様が記されており、足が人間にとって大切な部分であると考えられていたようです。
日本には奈良県の薬師寺に日本最古の『仏足石』があります。
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中国では、最古の医学書といわれる『黄帝内経(こうていだいけい)』が2000年前にまとめられ、中国伝統医学が体系化されました。残念ながらほとんど現存していませんが、残された写しには、手や足のつぼ(経穴)の存在が明らかにされています。
中国では、古代より伝わる足に関する研究は、伝承が途絶えがちで、民間療法として伝わる程度に留まり、つぼ(経絡学)が中心に体系化し、手足という体の末端と内臓の関係が研究されていきました。

西洋でリフレクソロジーの基礎が作られる

一方、西洋でも手や足を刺激することで全身の健康管理を行うということが古くから行われていたと、アンクマホールの壁画からもわかるように、20世紀初頭ごろから盛んに研究されるようになります。

アメリカ人医師のウィリアム・フィッツ・ジェラルド氏は、人体の末端にある手足と全身の関連性に着目し、区域療法(ゾーンセラピー)を発表しました。
これは、人体を手足に向かって10本のラインにより帯状に区分し、同一ゾーンには関連性があることを主張したものです。
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ゾーンセラピーの研究は、欧米の多くの研究者に影響を与え、アメリカの理学療法士、ユーニス・イングハム女史は、フットチャート(反射区図表)を作成し、足の反射区療法の啓蒙、普及活動を精力的に行います。
彼女の活動は、ヨーロッパ各国にも影響を及ぼし、イギリスのドリーン・ベイリー、ドイツのハンネ・マルカート、スイスのヘディ・マザフレなどに受け継がれていき、近代リフレクソロジーの幕開けとなりました。
中でもヘディ・マザフレ女史は、『未来のための健康』という本を執筆します。
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若石健康法のはじまりと名称の由来

1970年代、台湾の教会に赴いていたスイス人宣教師、ジョセフ・オイグスター(中国名:呉 若石)神父は、ひざのリウマチ疾患で悩んでしました。

その時、仲間からヘディ・マザフレ女史の『未来のための健康』の本を勧められ、それを読み、足をもみ続けたところひざのリウマチが完治します。
これをきっかけに神父は足をもむ健康法の普及活動に励み、台湾全土でブームが巻き起こりました。
しかし、神父は台湾を離れることとなり、この健康法の継続と普及を陳兄弟に託します。
そこで1982年、陳茂雄氏を創立者とし、陳茂松氏が執行会長として『国際若石健康研究会』が発足し、本格的に学問としての研究が始められました。
『若石』というのは、最初に台湾全土に広められた若石神父の名前からきており、石のように、素朴で自然で、純粋な(若は~のようなという意味)健康法という意味があります。
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若石健康法が日本へ伝わる

台湾で足の健康法の実践や研究を行っていた官有謀(かんゆうぼう)氏は、来日した際、峯山博己氏の企画のもと全国的な講演会や書籍出版を行います。
1985年、峯山氏により「21若石健康研究会」が組織され、日本で本格的な足裏健康法の普及が始まります。
1988年、台湾を本部とする『国際若石健康研究会』の日本支部として、『日本分会』が設立されます。